史料館古写真帖2

旧制二高 創設の頃…
        明治24年度 第二高等中学校医学部卒業記念写真(附属図書館医学分館所蔵)

 第二高等中学校」医学部の、明治24年卒業生の記念写真。東北大学に関係ある学校の写真資料としては、現存する最も古いものといえるでしょう。

 詰襟の学生服に、白線2本の学生帽という、今日でいう「学生服」姿が並びますが、実はここには、校長・医学部長以下の教授陣も一緒に写っています。当時は学生のみならず教師も同じ「制服」を着用したのです。ちなみに医学部長山形仲藝(2列目左から5人目)は、後に東北帝国大学初代の医科大学長となります。

 第二高等中学校(のち第二高等学校)は、帝国大学進学者を養成する「本部」と、医師養成にあたる「医学部」からなる学校として、明治20年(1887)に発足しました。医学部はこの後「仙台医学専門学校」として独立し、本学医学部誕生(1915)までの間、東北における唯一の医学教育機関として多くの医師を送り出しました。若き日の魯迅が籍を置いたのもこの「仙台医専」です。一方医学部を分離したのちの第二高等学校は、1950年に東北大学に包摂されるまで、帝国大学進学者のための学校として独特の「旧制高校」文化を仙台の地に開花させていきます。

 


東北帝国大学開学以来の設備 子午儀

理学研究科天文学専攻 田村眞一


はじめに
 青葉山理学部キャンパス内で、八階建ての物理A棟の北側に、子午儀室という小さな建屋がある。今では、駐車場から注意して見ても、松が生い茂り雑木が成長して、すぐにはそれと見分けることができない環境になってしまった。この中に、位置天文学では重要な役割を担うBamberg製子午儀が据え付けられている。理学部天文学教室の設備である。これの管理保管上必要があり詳細な履歴を調べたところ、東北帝国大学開学以来の観測機器であることが判明した。これにまつわるこれまでの経過をまとめてみたいと思う。東北大学は、2007年には創立100周年を迎えることになり、また今年は理学部開講90周年の年にもあたるので、時宜にかなった試みだと確信する。
 子午儀は、設置された地点の子午線上を、恒星が日周運動のため通過するのを観測し、恒星の赤経・赤緯をきめたり、あるいは赤経・赤緯既知の恒星を観測し精確な時刻の決定とによって、設置点の緯度や経度をきめるのに用いられる。今では、測地点の緯度・経度をきめるためには、GPS(Global Positioning System)の使用が普通に行われるようになっているから、子午儀がはたした役割や我々の日常生活との関わりは、すぐに理解されよう。標記の子午儀は、北緯:38°15′26.072″、東経:140°50′33.394″、高度:152.97m、に設置されている。

東北大学理学部天文学教室
 “天文学教室”は法制上存在しないにもかかわらず、これまで研究・教育の単位として慣習的に用いられてきた。現在では“地球物理学教室”と共に、理学部宇宙物理学科を構成し、理学研究科では天文学専攻となっている。正式な発足は、昭和9年9月の勅令274号に基づくが、その源は明治44年1月1日に開設された物理学科四講座中の物理学星学講座にまで遡ることができよう。
 前述の子午儀は、Zeiss製赤道儀と共に開学当初購入された設備のようである。東北大学五十年史によると、大正元年12月に向山観象所が竣功し、子午儀・赤道儀が設置され、翌大正2年から観測が始まり、塩釜伊兵衛が観測取扱を命ぜられた、と記述されている(東北大学五十年史上、第二部部局史、第一編理学部第三章物理学科;昭和34年)。表1はこの中に記載されている当時の主な購入物品表である。つまり、天文学講座が設置される二十数年以前に、すでに子午儀や赤道儀等の天文学の研究・教育上主要な設備が購入されていたということである。Zeiss赤道儀は、残念ながら第二次世界大戦の折仙台空襲の際に焼失した。

 Bamberg 子午儀
 この子午儀は、いつの頃か旧理学部(現片平キャンパス)に移設され、物理棟脇の西北角に設置されていた。これを用いて実際に教育・研究に携わっていた氏家慧一元助教授から、天文学講座ができた後初代の講座担当であった松隈健彦教授による、実際の観測記録が存在することを教えていただいた(仙台の経緯度について:日本天文学会要報、第6巻第3冊、93〜95頁、昭和16年)。この中で、Zeiss赤道儀と共に、Bamberg子午儀は東北帝国大学創設以来の設備であることが明記されている。表1の出典である東北大学五十年史の記述とも一致する。その上、東北大学五十年史には、教授として内命を受けていた在ヨーロッパの人々による明治42年のベルリン会議と共に、明治43年(1910)に長岡半太郎を迎えて、本多光太郎、日下部四郎太、真島利行、矢部長克、佐川栄次郎、愛知敬一、藤原松三郎等がパリに集まり、東北帝国大学理科大学の設備購入について会議したことが記されている(第一部通史、第二編創立時代、36頁)。これによって、開学当初の設備購入の事情がよく理解できる。

Bamberg子午儀(口径80mm、焦点距離900mm、製造番号No.14588)

 日本天文学の黎明期
 さてここで、後に東北帝国大学に天文学講座が設置されるまでの二十数年の間、専門の研究者や学生が存在しなかったにもかかわらず、開学当時最先端の観測機器が購入されていた理由や日本の天文学事情を考えてみよう。
 日本で最初の天文学科は星学科と呼ばれて東京帝国大学に開設された(明治14年)が、明治30年頃まで、ほんの数名の卒業生しかでていない。まだ、人々の意識の中で星学科はそれほど馴染みがあるとは云えなかったのだろう。実際、天文学の教科書を執筆する学者はほとんど存在せず、明治33年に出版された帝国百科全書中の星学(博文館)は、物理学者によって著された。このことによって、上のような状況を垣間見ることができる。当時の重力測定や地磁気観測という測地学分野の研究・教育も物理学分野に含まれていたから、子午儀の扱いについても物理実験の中で教育が行われていたのかもしれない。また東京天文台は、主として星学の他に関連する測地学分野の事業をも進めていた。このような中から、東北帝国大学で星学=天文学の研究・教育を始めようとしていた先人等の意図を明確によみとることができる。

観測取扱、塩釜伊兵衛氏のこと
 購入間もない子午儀を用いて観測を始めたのは「観測取扱」を命ぜられた塩釜伊兵衛氏であった。塩釜氏は明治22年旧制第二高等学校に入学し、大学予科を経て明治30年7月に卒業、そのまま東京帝国大学に進み、明治33年7月に物理学科を卒業している。その後仙台高等工業学校に赴任したのが明治40年で、翌年には教授になった。したがって、「観測取扱」は兼任であったことがわかる。東北帝国大学理科大学物理学科初代教授の日下部四郎太(前述のパリ会議の一員)とは、大学予科、東京帝国大学を通じて同級生であった。おそらく明治30−33年頃に、子午儀の観測について教育を受けたものと推定される。尚、最近見つかった塩釜氏の資料の中には、東京天文台での観測記録(ノート)もあるから、麻布飯倉にあった東京天文台の三鷹への移転準備期(明治42年〜大正3年)仙台から上京して研鑚を重ねていたことを知ることができる。

おわりに
東北帝国大学理科大学物理学科創設のとき、すでに四講座の中に「物理学星学講座」が開設され、当時最先端の設備であった子午儀や赤道儀が購入されていた。明治維新後、ほぼなんの土台もなかった星学=天文学にかける、将来を見通した先人の意気込みを知ることができた。今では、天文学の研究・教育の主題は、宇宙の構造やこれを構成する天体の諸相を物理学の手法によって調べることに変わり、位置天文学や測地学的面の主題からすでに大きく変わっている。これに応じ、先人の意図や意思を体し又現代の天文学に立脚して、新たな発想に基づき我々も次世代に引き継ぐ最先端の設備を残したいと願っている。

表 :明治44年〜大正3年頃の物理学科購入器械の主なもの(東北大学五十年史上、第二部部局史591頁)

品名 製造所 当時価格(円) 品名 製造所 当時価格(円)
尺度目盛機 ジュネボアズ 1,083.600 投影幻灯機 カールツアイス 1,505.939
盤目盛機 ジュネボアズ 774.000 子午儀 コックアンドサンス 536.965
電気時計 シーメンスハルケア 609.450 台付子午儀 バンベルグらしい 2,558.000
六尺施盤 日本工業 495.000 赤道儀 カールツアイス 2,156.000
感応発電機 記載なし 1,195.000 エシエロングレーティング アダムヒルガ− 2,172.267
線電流計 ライボルト 1,212.584 マイケルソン干渉計 アダムヒルガ− 738.696
電気振動射影機 シーメンスハルケア 1,171.076 赤外線分光器 アダムヒルガ− 585.000
蓄電池120 シーメンスハルケア 3,011.400 電磁石 大型 ハルトマン 1,657.704
ダイナモ シーメンスハルケア 1,029.340 電磁石 ソシエテジュネボアズ 728.817
パンツエル電流計 シーメンスハルケア 550.240 磁力計 ケンブリッヂ 698.054

受贈資料(2001年3月以降)

◆主な受贈資料(寄贈者)
・停年退官教官資料
・農学研究所・遺伝生態研究センター旧蔵文 書(生命科学研究科)
・理学部化学教室資料(荻野博)
・歯学部写真アルバム(丸茂町子)
・法文学部教授著書(加茂博三郎)
・法文学部第一号博士学位記(橋本昭爾)
・旧教養部資料(柳田三郎、多田喜代子)
・事務局公印(事務局総務課企画文書掛)
・塩竃伊兵衛氏資料(塩竃直吉)
・東北帝国大学卒業式講演要旨(石島庸男)
・理学部化学教室野村博研究室卒業アルバム (向井利夫)
・薬学部薬友会『あみこす』ほか資料
 (草場美津江)
・「行幸に関する書類」(事務局人事課)
・「キャンパス移転整備調査室」看板
 (キャンパス計画室)
・「遺伝生態研究センター」「農学研究所」等 看板(生命科学研究科)
・広報調査課旧蔵写真等(広報課)
・二高記念メダル(玉手英四郎)
・薬学部研究室アルバム(佐藤進名誉教授)
・工学部腕章ほか(小松明)
・理学研究科岩石鉱床学教室学生写真集(秋月瑞彦)
・「物性研究」研究会記録等(篠原猛)
・「東北大学卒業記念アルバム 2001」(東北大学生協)
・「東北大学医学部卒業記念アルバム 2000年度」(奥野洋史)
・教養部優勝旗ほか(国際文化研究科)
・旧制二高尚志同窓会資料(旧制二高尚志同窓会)

◆受贈図書一覧(寄贈者)
・『電通親睦会誌−電気通信研究所創立25周年記念特集号−』(電気通信研究所図書室)
『続 ゴミ箱』
(工学部建築学科第8回卒業生「ゴミの会」)、
『占領下大学の自由を守った青春−東北大学イールズ闘争五〇周年記念−』(東北大学イールズ事件五〇周年記念行事実行委員会)
『評論 大学、女性、家庭教育』
『太平洋のかけ橋−紀行と随想』
   (以上2冊 佐々木徹郎名誉教授)
『白鳥省吾の詩とその生涯』(白鳥省吾記念館)
『神戸山手学園七十五年史』(神戸山手学園)
『ひとの世紀へ』(日本工業大学)
『追想 村上武次郎先生』(篠原猛)
『数与詩的交融』(復旦大学)
「日本人が発見した元素ニッポニウム」
  (吉原賢二名誉教授)
『追憶の二高』(里文出版)
『北大の125年』
(北海道大学125年史編集室)
『目で見る 仙台の100年』(郷土出版社)
『香川大学五十年史』(香川大学)
『学校法人 中村産業学園40年史』
(中村産業学園)
拓殖大学創立100年記念出版
『宮原民平−拓大風支那学の祖』
『新渡戸稲造−国際開発とその教育の先駆者』
『後藤新平−背骨のある国際人』」
『軌跡 30年史』
(東北大学大型計算機センター)、
「東北大学片平キャンパス界隈お散歩マップ」(片平たてもの応援団)
『東北大学工学部建築学科創立50周年記念誌』(工学部建築学科)
『東京女子大学の80年』(東京女子大学)
「粟野教育講座講演集 教育のこれから」(粟野健次郎顕彰会)
『二つの確認』(宮北要)
『東京女子医科大学百年史』およびその資料編(東京女子医科大学)
「STELLAR PULSATION-NONLIEAR STUDIES」(竹内峯)
『PROCEEDING OF IAHR-SYMPOSIUMN CAVITATION AND HYDRAURIC MACHINERY』(大友芳郎)
※その他多数の皆様にご寄贈をいただきました。


活動記録抄

○企画展報告
 東北大学理学部開講90周年記念行事
 「理学部草創期の科学者たち」

 9月11日(火)から28日(金)まで、理学部90周年行事の一環として、「理学部草創期の科学者たち」展を開催いたしました。
 本多光太郎、真島利行、藤原松三郎、日下部四郎太、畑井新喜司等々理学部草創期を支えた「明治生まれ」の、20世紀の新しい科学研究を切り開いた科学者達を、写真や自筆の書簡・ノート、実験器具、著作物な史料を通じて紹介しました。

○定年退官教官著作目録・肖像写真作成
 2000年度:著作目録作成34名、肖像写真作成32名
 2001年度:著作目録作成32名、肖像写真29名

○当館への問い合わせ・調査事項(抄出)
 戦前の女子学生に関する資料/トヨタ自動車創設者豊田喜一郎氏の二高在学中の資料/旧制二高の所在地/アインシュタイン博士来仙時の資料/旧制高校における花柳病調査/二高の創立記念日・校歌等/三神峯時代の第一教養部(富沢分校)について/本学草創期の工学部・理学部卒業生の進路について/ 昭和24年頃の片平地区の平面図/学友会庭球部の創立期/昭和天皇行幸時の本学側の記録/本学片平中央体育館の落成式日時、および関連行事/多田等観元法文学部講師について/元工学部講師梅原半二氏の在職期間

○日誌抄(2001.2〜2001.8)

2.5 史料館月例会議
2.13 史料館運営委員会
2.15  福島県浪江町友好都市中国江蘇省興 化市友好訪問団見学
2.26  防衛大学校資料室
2.27  旧制二高物理学教授木村駿吉教授ご 遺族ほか見学
3.2  東京大学史史料室中野実助教授、資 料調査
3.7  中国共産党青年幹部訪日団見学
3.9  塩竃伊兵衛氏関係資料資料受入
3.13  中国四川電視台代表団見学
3.21 永田研究員、「大学アーカイヴズに 関する研究会」参加のため出張 (京都大学 〜23日)
3.23 中国教育行政官等訪日団見学
3.19 2F展示室入り口および貴重資料室 のドア工事(〜22日)
4.6  全学に対し、「歴史的価値を有する 公文書の調査および移管について」 調査依頼
4.9 史料館月例会議
4.9 中国浙江大学副校長一行見学 
4.19 永田研究員、上海出張(〜23日)
5.15 資料収集等
5.25  文学部日本史学講座大藤修教授ほか 学生見学
5.29  宮城学院女子大学大平聡教授及び学 生、資料調査のため来室
5.29 定年退職予定教官に対し、「著作目 録等作成について」を発送
6.2  全国地方教育史学会見学会(当館および片平キャンパス内)
6.5 史料館月例会議
6.25 著作目録作成希望者に目録作成ガイ ドと原稿提出用ディスクの送付
7.3 史料館月例会議
7.25 史料館運営委員会
7.26 福島県原町市国際交流協会見学/白石女子高等学校2年生見学
8.27  埼玉県越谷高校PTA一行見学
8.29 中国浙江電視台・福井放送一行見学