東北大学百年史編纂室ニュース | |
第3号 1999.1.31 | |
目次 | |
大学史における実験と実験器具 | |
東北大学東北アジア研究センター教授・百年史編集委員会委員 吉田 忠 |
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『東北大学百年史』 部局史編纂委員会委員名簿(1) | |
東北大学百年史編纂室日誌抄録 | |
●点描・百年史 | |
ケーベル先生と東北大学 | |
お知らせ | |
大学史における実験と実験器具 東北大学東北アジア研究センター教授・百年史編集委員会委員 現今の大学の理系の学部では実験室の存在は不可欠であり、多くの実験器具・器械と取り組んでいる研究者や学生の姿はおなじみの光景である。しかしこれとても歴史的所産であった。 1.大学における実験の制度化 2.東北大学創設時の実験器具 |
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部局史編纂委員会委員名簿(1) (部局史第1巻、第2巻所収部局。平成10年12月1日現在。第3巻、第4巻所収の部局史編さん委員会名簿は、次号に掲載) 部局史第1巻(平成15年3月刊行予定) |
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百年史編纂室日誌抄録 |
平成10年 | |
7月 2日 | 各部局に教授会議事録の利用について依頼を行う。 |
6日 | 小山貞夫編纂委員長に編纂事業の経過報告を行う(今泉室長、編纂室員)。 |
8日 | 第15回幹事会(通史執筆体制、百年史体裁、執筆要項、CD−ROM・『東北大学百年史小史』の出版、資料編収録の統計デ−タ)。 |
13日 | 梅花学園資料室より『梅花学園学園史研究』(第5号)寄贈。 |
17日 | 渡部治雄名誉教授(大学教育研究センター)来室。 |
22日 | 久道茂東北大学後援会理事と今泉室長の話し合い。 |
23日 | 第16回幹事会(百年史の体裁、執筆要項、部局史の編纂)。 |
29日 | 第8回百年史編集委員会(通史執筆体制、百年史の体裁、執筆要項、『東北大学小史』の出版、電子出版)。 |
31日 | 編纂室スタッフ会議。 |
8月 5日 | 梅花学園資料室より『梅花学園学園史研究』(第1〜4号)寄贈。 |
31日 | 編纂室スタッフ会議。 『東北大学百年史編纂室ニュ−ス』(第2号)刊行。 |
9月 4日 | 原田夏子氏より『東北帝国大学女子学生の記録−昭和十八年十月に入学して−』(晩夏会)寄贈。 |
18日 | 河相一成名誉教授(農学部)来室。 |
29日 | 編纂室スタッフ会議。 |
10月 1日 | 第17回幹事会(通史執筆体制、刊行経費・計画、資料編収録の統計デ−タ)。 |
5日 | 第9回百年史編集委員会(通史執筆体制、刊行計画、執筆要項)。 |
9日 | 小山編纂委員長と今泉室長の話し合い。 |
16日 | 工学部史編纂室員・理学部部局史実務担当者来室。 |
19日 | 百年史編纂委員会(東北大学百年史編纂委員会規程の一部改正、東北大学百年史の編纂・刊行) |
11月 4日 | 編纂室スタッフ会議。 評議会議事要録件名目録完成。 |
5日 | 編纂室員が宮城県図書館において資料調査を行う(河北新報・宮城県庁文書等)。 東北大学工学部電気情報系創立75周年記念史出版会より『ANTENNA−東北大学工学部電気情報系の歴史−』寄贈。 |
9日 | 高知医科大学より『開学二十周年記念誌−岡豊今昔−』寄贈。 佐賀医科大学より『開講二十周年記念誌』寄贈。 |
12日 | 京都大学総務部創立百周年記念事業推進室より『京都大学百年史』(総説編)寄贈。 工学部史編纂室員来室。『工学部史編纂室通信』(創刊号)寄贈。 |
13日 | 事務局総務部人事課資料調査開始。 |
16日 | 中村志郎名誉教授(文学部)来室。 |
19日 | 上越教育大学より『上越教育大学創立20周年記念誌−飛躍−』寄贈。 |
20日 | 編纂室員が宮城県図書館において資料調査を行う(河北新報・宮城県庁文書等)。 |
12月 2日 | 編纂室スタッフ会議。 |
4日 | 森富名誉教授(医学部)、石井敏弘名誉教授(医学部)来室。 |
11日 | 艮陵同窓会百二十年史編纂委員会より『艮陵同窓会百二十年史』寄贈。 工学部史編纂室員来室。 |
17日 | 大分医科大学より『仰岳U −大分医科大学二十周年記念−』寄贈。 |
19日 | 服部文男名誉教授(経済学部)より資料寄贈。 |
22日 | 工学部史編纂室員来室。 兵庫教育大学より『兵庫教育大学二十年史』寄贈。 |
●点描・百年史 ケーベル先生と東北大学 明治26年(1893)から大正 3年(1914)まで、東京帝国大学の学生で、小柄・痩形で人力車に乗り、大学の構内を徐行させていた外人教師の姿を見なかった者はいない。その人は夏目漱石の小品で有名な「ケ−ベル先生」であり、新入生は先輩から「あの人は駿河台の聖人である」と教えられていたという。 ケ−ベル先生は、好んで学生達を自宅での夕食に招待され談論を楽しまれた。たびたび先生宅に招かれた学生とは、波多野精一、岩元 禎、桑木厳翼、姉崎正治、高山林治郎など文科大学の俊秀たちであったが、その中に、石原謙(哲学)、阿部次郎(美学)、田辺元(科学概論)小山鞆繪(科学概論、哲学)、高橋里美(科学概論、哲学)久保勉(古代言語、西洋哲学史)など、後年東北帝国大学で教鞭をとることになる人達がいたのである。 ケ−ベル先生(Raphael Koeber 1848〜1923) は、ロシアのニジニ・ノブゴロドのドイツ系ロシア人の家庭に生まれ、教養ある祖母に育てられた。モスクワ音楽院に進学したケ−ベルは、N.ル−ビンシュタインからピアノを、P.I.チャイコフスキ−から、作曲法などを習い,優秀な成績で卒業した。卒業に際し恩師から、職業的ピアノ演奏家になるよう勧められたが病弱のため断念し、哲学の勉強を志してイエナに向かった。 イエナ大学を卒業したケ−ベルはハイデルベルグ大学、ベルリン大学、ミュンヘン大学で研鑽を積み、その間、数々の著作を発表したが、特に1884年、『ハルトマンの哲学体系』を公にし、当時欧州哲学界の最高峰として、世界的に著名なエドヴァルド・フォン・ハルトマン教授に嘱望され、深い信頼を得ておられたのである。 その頃、ハルトマン教授の許に東京帝国大学文科大学から、青木駐独公使を通じて哲学講師の推薦依頼があり、ケ−ベルを推薦したとの手紙がケ−ベルの許に届いた。 ケ−ベルは初め峻拒していたが、ハルトマン教授の数次にわたる説得により、ひとまず3年間の契約で東京に旅立った。1893年(明治26)のことであった。 ケ−ベル先生の目指した講義は、人文主義的教養そのものであった。また、近代西洋の哲学のみならず、西洋文化一般の徹底的理解にはギリシャ語・ラテン語が必須であるとの信念から、ギリシャ語・ラテン語の講義をも引受けられた。 ケ−ベル先生の円満な人格と周到な講義は学生達の心を捉え、教室は常に満席であったという。その生徒達の中から、幾多の我国を代表する哲学者が育ち、創立後日が浅い本学理科大学にも若い講師を迎えることができた。 その最初の人物は田辺元であり、本学理科大学で科学概論、哲学、倫理学等を担当した。それは、法文学部が創設される 9年前の大正2年のことであった。 田辺は本学在勤6年間にTohoku Mathematical Journal (東北数学雑誌)に「自然数ノ哲学的基礎ニ就テ」をはじめとする数学の哲学的解釈に関する論文4編(いずれもドイツ語)を発表しているが、これらは後年『数理哲学研究』(大正14)となり、わが国の学界に独自の境地を開いた。数学科林鶴一、藤原松三郎、小倉金之助など3博士、ならびに本多光太郎、石原純など理科大学の研究者たちとの交流の成果であるといわれている。 田辺は、理科大学(東京帝大)で数学を学び、途中進路を変更し文科大学で哲学を専攻した。大正7年、西田幾多郎に請われ京都帝大に転出するが、西田もまた数学に関心を抱く人で、彼が敬愛した恩師北條時敬(本学第二代総長)は数学を専攻した人であり、西田に数学科を志望するよう薦めたという。また、田辺が一高在学中から教示を仰いだ狩野亨吉も数学から哲学に転向した人である。ちなみに、田辺の著書「科学概論」(大正7年)は沢柳政太郎に、「数理哲学研究」(大正14年)は狩野亨吉に捧げられている。これら人物の間に数学の見えざる糸が絡んでいるのはなぜか。理科大学の「科学概論」を着想された澤柳政太郎本学初代総長に伺ってみたいものである。 大正11年本学に法文学部が創設され、東京帝大や京都帝大出身の精鋭が着任した。その中に幾多のケ−ベル門下生がおり、言わず語らずに、先生の風格を継承した自由闊達な講義が行われたのではないだろうか。 また、ケ−ベル先生が好んで行なわれたという、学生による先生宅の訪問は、法文学部の「面会日」として、ケ−ベル門下生以外の教官にも定着していたようである。 それは、戦争末期の激烈な状況の中でも続けられていたようであり、たとえば昭和19年、学徒動員・学徒出陣の最中にもかかわらず、面会日は月曜日武内義雄、火曜日村岡典嗣、水曜日小宮豊隆、木曜日阿部次郎、金曜日岡崎義恵の各教授であった、との回想記録がある。 学生の教授宅訪問が、必ずしも東北帝大だけの伝統ではないかもしれない。しかし、東北帝大に赴任した数多くのケ−ベル門下生は、恩師ケ−ベルの人格的影響で学生の指導はケ−ベル風となり、先生の教えが、あたかも地下水脈のごとく、本学の学風の一部を形成してきたといってもよいのではないか。 ケ−ベル先生の晩年、10年にわたり先生と起居を共にした久保勉は、先生の最も身近かな弟子であるが、先生の没後本学法文学部でギリシャ語、ラテン語、哲学史を講じた。また、ケ−ベル先生から継承した先生の蔵書(文学書、音楽書を除く)を本学に将来された。本学図書館に収蔵する「ケ−ベル文庫」がそれである。 なお、本学第七代総長熊谷岱蔵は、帝大医科大学生のとき、ケ−ベル先生宅を訪問した際「君はキリスト教徒か」と聞かれ「無宗教である」と答えたところ「だが、君はキリストの霊に属する」といわれたこと、また、「夢は何国語で見るか」と尋ねたら「ドイツ語で見る」と答えられたことに興味深く感じたと述懐している。 結核の神様といわれた熊谷総長の診療や講義にケ−ベル風が認められたのであろうか。(文中敬称略) (参考文献) |
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お知らせ 資料に関する情報をお寄せください! 現在,百年史編纂室では,学内に保存される行政文書の調査・分析を中心とした作業をおこなっております。しかし,大学という大きな組織体の歴史を描くためには,公的記録には残されない,様々な出来事や人間模様が描かれた記録類や写真などもまた,重要な資料といえます。今後,編纂室では,これら個人が所蔵される諸資料,特に@大学新聞・学生新聞(下の写真参照),A研究室・サークルなどの記録類,B写真類,C個人の日記・メモ,などの調査・収集をおこなっていきたいと考えております。こうした資料の収集にあたっては,教職員・卒業生・在学生の皆様をはじめとする学内外のご協力が不可欠です。
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